カルストの花
草原に白い石灰岩が林立する様が、古くから羊の群れに例えられる。いにしえの人々の豊かな想像力には感服するばかり。
自宅から程近いこともあって、年に何度かは運動がてらハイキングへとやって来る。
休日の朝、早起きして涼しいうちにひと歩き。
息を整えながら一歩一歩登っては立ち止まり、来た道を振り返るとまた進む。
幾度となく来ているのに、いつも初めて訪れた風景を眺めているような新鮮な気持ちになるから不思議。
自然はまるでそれ自体が生き物のように、その造形に内包する営みを少しずつ変えてゆく。草の色、鳥の鳴き声、雲の形、風が運んでくる匂い…。どれ一つとして同じものは無い。
見下ろす山肌に被さった雲影が、草の上をなめるようにして流れて行く。
周防灘(すおうなだ)を臨む尾根の上で、遠く続く海岸線を見ていた。
カルスト台地を取り巻く小高い尾根の連なり。
どの辺りだっただろうか。もうはっきりとは思い出せなくなってしまったけれど、記憶の中にある、丈の低い草に被われていたあの小さな丘。
ちょうど30年前の春先、当時交際していた彼女と二人でその小さな丘へ登り、花の種を蒔いた。朝顔と向日葵とあとなんだっけ…?
(彼女に叱られるかな💧)
その年の4月から、私の再就職先の都合で遠く大阪と福岡とで交際を続けることになっていた私達。
時折二人で来ていたその丘に、花の種を蒔いてみたくなって、スコップを手に穴を掘り、種を蒔き、水やりをした。
まだ二十歳と十九だった3月の日。
しばらくして5月の休みになり、私が福岡へ戻ると、二人でまた山へ登った。
この辺りだったかな?
種蒔きをした場所を探して回ると、小さな芽がいくつも出ていて、二人で顔を見合わせてはしゃいだ。
けれどもその夏は結局、山へは登りに行けず、花を見ることはできなかった。丘の上で背の高い向日葵が咲く様を、想像の中でしか見れなかった私達。でもきっと、まっすぐ日を浴びて綺麗に咲いていたと思う。ひょっとして、誰か見かけた人もいたのかな。
花を見ることはできずに残念だったけれど、そんなこともあってか今も思い出深く記憶に残っている。
三つ目の花の名前は、まだ思い出せないけれど…💧
あの日一緒に山へ登った彼女とは、それからたくさん喧嘩もしたけれど、もうすぐ28度目の結婚記念日。今でも冗談ばかりでとぼけた二人、少しは根の張った夫婦になれたかな。
長女、二女、三女、優しい花もちゃんと三つ咲かせたよ。もちろん名前を忘れたりはしない…💧
梅雨の晴れ間の尾根道で、一人遠くまで続く海を見ていた。
ためらう事なく変わってゆく世の中と、変わらぬ心の有り様とを自問していた週末の朝の道。
思いは時を遡り、
ふいに自然はいたずらをしてみせる。
きっといつかも吹いていた柔らかな風が、汗ばんだ頬をさらって行った…。