つむぐ

『ありがとう』

普段、なんとはなしに口にする言葉だけど、日常的に好きな言葉の一つ。

何にでも『ありがとう』を言って暮らせたら…。

時折そんなふうにも思うけど、現実はいつも心がちぐはぐして、至らぬ私には難しい。

人はたぶん感情の生き物だから、いつも『ありがとう』と『どうして』の狭間で生きているような気がする。

常々自分が苦手だと思っていた『どうして?』の多い人から、思いがけず『ありがとう』と言われたりすると、ほっこりとお腹が膨れるようなくすぐったさをおぼえるのは私だけかな?

もしも、毎日そんなことが続いたら、きっと『ありがとう』を主食にして生きてゆけそうな気もするおかしな私??

 

広い世の中には沢山の人が暮らしているけれど、もしもある時からたった一人きりでの暮らしを強いられてしまったら。

いったい何に対して『ありがとう』を言えばいいのか。山や川、海に空、動物達や目には見えない神秘的なもの??

ひょっとして、『ありがとう』の言葉すらなくなってしまうのかも知れない。

そんな毎日には人付き合いのわずらわしさなんてのも無いのだろうけど、時には『どうして』の思いを抱えながらでも『ありがとう』を伝え、伝えられるそんな今の暮らしの方がいいような気もする空想大臣。

 

日に何度の『ありがとう』を言ったり、耳にしたりするのかな?

 

いつも、なんとはなしに口にする『ありがとう』

心の中で自分と向き合う『どうして』と同じくらいに、日常にある大切な言葉。

 

心を紡ぐ『ありがとう』を言える人が、いつも周りにいる。

それを幸せな日常だと思える自分が、紡ぎ紡がれながら今日を暮らしている。

きっとあちこちで交わされている『ありがとう』 お腹をくすぐったそうにしている人達が、きっとどこかでつながってゆく、そんな心の営みがある町で…。

 

       

 



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